四畳一間の脳内

ジャンプの感想が多いと思う

WJ45の僕のヒーローアカデミアが面白かった話

 

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2017年WJ45号の僕のヒーローアカデミアが私にとって最高だったからその話をしたい。

 

 

したいんだけど、ばーっとツイッター検索掛けてもまとめサイトとか見ても私と同じこと言ってる人一人もいなかったからまあそういうたぐいの感想だと思ってくれ。でも本当にすごいと思ったんだよ。すごいっていうか面白いと思った。そういう話をしたい。

どれくらい計算でどれくらい偶然の産物なのかは一読者である私に分かるわけもないのですがそれにしたって堀越先生の物語構成と対比構造はすごいと思う。たぶん「展開やキャラが被らないように」相反するものを常に考えているってのがあるのかなーとか勝手に思っています。にしたって凄いわ。


この記事まとめて言うと「エリちゃんは『勝つヒーロー』にしか救えない子供だったと判明した」「その子供をを救おうとする話を深夜の私闘エピソードの次でありステイン編のカウンターであるインターン編に持ってきた堀越先生の物語構成がメチャクチャ美しくてすごいし無駄がないしヤバいしデク君の試練としてこれ以上のものはなくない?ヤバい」

という話です。あと「やっぱり未来は変わらないのでは」とかも

 

以下詳細を語らせてくれ

 

 

 


バックノズルという創作上の概念があります。

西尾維新著の戯言シリーズという小説があり、その中で提示された「運命はすべて決まっていて、いつか起こることは先延ばしにしようが必ず起こるし、起こらなかったとしてもそれはとっくに起こっていただけにすぎない」という、可変性のある運命・選択可能な未来というものを真っ向から否定する考えなんですけれども、サー・ナイトアイの予知は(少なくともサーにとっては)これに当たるんだと思う。

というか私はヒロアカの前に戯言シリーズワールドトリガーを履修していたので

「サーのいう予知って迅さんみたいな感じかなー」
「でも予知したら未来は変わらないって回想で言ってたしこれはバックノズルかな」
「あっこれはバックノズルだわ」
「バックノズルでした!絶望!太刀川さんみたいに逆手に取るマインドが欲される!」

みたいな感じで超なめらかに理解していたので「つまりサーのいう予知ってなんなんだよ!!」って未だに言ってる人の気持ちは分からなかったりします。いや分からなくはないけど、大体説明されたじゃんと思う。つまりサーが予知した世界線に固定されるってことと、かつ個人の努力とか主人公powerだけで覆せる類のものではないこと。できないからこそ最後のページで、(治崎が存在から知りえなかった)リューキュウ事務所が参戦する展開になってるんだし。

堀越先生のこの、「主人公デクの力だけでは(または救いたいという気持ちだけでは)救済は完遂できない」という作劇は本当徹底されているなーと思うし、こういう部分は「ジャンプのバトル主人公はルフィや悟空であるべし、またはそうなっていくもの」と期待している読者には期待はずれというか、物足りない部分なんだろうなと思う。
ただヒロアカは「ルフィや悟空には決してなれない大人たちや子供たちが、それでもヒーローを名乗ること/目指すこと」を描こうとしている物語だと思っているので…そこらへんはまあ…ワンピナルトに続く新王道!!みたいな路線で推しすぎた編集部の功罪の一部なんだと思う…。新王道であることは確かなんですけれども。


ちょっと逸れたけどバックノズルという概念があることだけ説明しました。次。


このインターン編というのが始まった頃、読者の多くの頭に浮かんだのは、1学期に描かれた職場体験だったと思います。ステイン編ですね。私は展開的にステイン編の構造をさらに複雑にして反転したような話になるのかなあと思ったんですよ。実際そう思える展開になってるんですけど、しかし読み進めていくと、もっとシンプルな部分もあるなと。

このインターン編は、ステイン編のカウンターになってるんです。
というか、ステインの思想に対してサー・ナイトアイがカウンターになっている。

 

これについてはまたスゲー長くなるんでもうこれに関しては別記事立てれたらと思うんですけど、ステインの思想とサーの思想は真っ向から相反してて、そしてサーの方が旗色が悪いです。
なぜなら、市民たちは、そしてステイン思想はやり方は間違っているが思想は正しいと思っている読者にとっては、ヒーローには人権が無い方が都合がいいからです。自己犠牲の果てに死んでも、その身体機能を”市民が敵に対して振るう兵器として”差し出されてこそヒーローだと思えるからです。オールマイトとデクの精神こそ本物でそれに準じるか社会奉仕に準ずるもの以外は認められない、というか、ヒーローを名乗ってほしくないと思っているきらいがある。
ちょっと断定口調で言っちゃったけどそういう面はあると思うつーか私の中にもあります…。なんだろうな、医者や教師みたいな職種に対するいわゆる「聖職者たれ」という死体と圧力、その現実とのギャップみたいな感じ。

そしてステインに褒められたデク君の思想を主人公ムーブとして肯定しヒロアカがそういう物語だと解釈している人にとって、サーは思想的には敵です。そしてステインに手放しで褒められたデク君を、そのままサーが認めるわけにはいかないんですよ。それを否定する為にサーはオールマイトと離別したんです。

ステイン編でヴィランであるステインに認められ肯定されたデクが、インターン編ではヒーローであるサーに認められず否定される。

そういう構図になっているんです。凄くねえ?わたしこれ凄い面白いと思った。
そしてこれはヒロアカが個性社会であり、ヒーローを公的職務とした世界であることを描く上で絶対に必要だったんだと思う。
「ヒーローってのはなあ!」ってのが読者の各々の中にあるわけじゃないですか。そしてそれは「精神ヒーロー」を肯定し「職業ヒーロー」を否定…までいかなくとも、なんか認めたくない、かっこわるいよねという考えに基づくものが多いのではないかなぁと思う。それをわかった上で「それでも公的にヒーローである、公的にヒーローの名前を背負う、責任を負うこと」を描こうとしているのがヒロアカで(そして私はそんなヒロアカが大好きで)、その中でサー・ナイトアイは「ヒーローは気持ちだけでは成り立たない」ことをだれよりも体現しながら(サーはマジでメンタルがヒーローに全然向いてないんですよ)、だからこそオールマイトが人々に求められた理由を「圧倒的な力とユーモア」と評したんです。

サーが上記の時、つまりオールマイトが人々に求められた理由を語った時、「ん?」って思った人、多いと思うんですよ。つうか私は思った。多くの読者はオールマイトとデクの共通点、その自己犠牲の精神や救済精神こそが人々に支持された、オールマイトが凄いヒーローたるゆえんだろ!って思ったと思うんです。サーこいつなんもわかってないなとすら思った人も多いと思う。でもサーは何も間違ってなかったんですよ。オールマイトが社会に一番貢献したのは「その圧倒的なパワー」であり、それを人々に肯定させるユーモアでした。

その答えが今週描かれたんです。だから私は感動しているんだ。

 

えーと

深夜の私闘、及び深夜の私闘を経た後に来る話としての/新たなデク君の試練としての/そしてステイン編のカウンターとしてのインターン編において、デク君が今まで重視していなかった部分が露呈します。それはヒーローにおける「勝利すること」の重要性です。私闘編ーインターン編にかけて、デク君が今までオールマイトに準ずると認められ肯定されてきた「救けるヒーロー」の面ではなく、未だ足りない「勝利するヒーロー」つまり「力を持って制圧することで自らの正義/主張を証明する」という面を、デク君が強く意識せざるを得ない展開になってるんですね。

深夜の私闘に関しても長々語りそうになるのであれなんですけど(※かっちゃんモンペ)、とりあえずデク君に注視するとあれは「デク君は勝つ・相手を制圧することで自分の正しさを証明する、という面に関してはまだまだ足りない、これから吸収していく必要があるね」という結論になった。「救う、助けるマインドが足りないからこれから吸収していこうな」ってなったかっちゃんの逆ですね。

深夜の私闘で、デクくんは「救う」だけでなく「勝つ」ヒーローにもならなきゃいけないんだと、意識した両輪が揃ってこそ最高のヒーローだと認識を改めた。戦闘訓練に続いて、デク君がかっちゃんとぶつかって得たものの一つだと思います。
そしてそれはデク君が初めて感じた、「自分が選ばれた意味を証明しなければならない」「自分がここに立っている意味を証明しなければならない」という意識との出会いです。これは「どうしてお前が選ばれたんだ?」「お前は何ができるんだ?」と問いかけられ、その証明を求められることでしか発生し得ないので、そして私はデク君にこの思考に速くたどり着いてほしかったので大興奮してました。いや私のことはいい。
…つうかOFAに関してだけ言うと本来なら「なんで選ばれたのか」とかデク君が証明する必要はないんですよ。だって「選んだ」のはオールマイトだからです。デク君はこの時点ではどこまでも「選ばれた」子でありデク君自身に選択の余地はなかった。デク君が本当の意味で「後継者であることを、デク君自身が選んだ」と言えるのはno.131「抗う運命」まで時間を要します。というかフォロワーさんがそういっててめちゃくちゃ納得したのでそう思っている。
いやそれも横に置いておいていいんだよ。

つまりな、「勝つ」ことの重要性を今まで二の次にしてきたデク君にとって「いつまでも二の次のままではいられないぞ」と突きつけたのが私闘編でありインターン編であり、今週のヒロアカであるという話がしたかった。

自分の主張が正しいということを、自分を選んでくれた人の選択が正しいということを証明する為に、勝つしかない。勝利することでしか自分の主張の正しさ証明できない時というのは、絶対にあります。どんなに正義を語り、泣いている子を痛みから救うべきだと主張しても、力が無ければ意味が無いんです。無個性のままヒーローになるのが難しかった一番の理由はそれなんだと思います。かっちゃんの言動で間違ってない、特に正しいのはそこだと思います。敵を制圧できないヒーローはどんなに心持ちが素晴らしくてもそれだけでは片手落ちなんです。だからオールマイトはデク君に力をあげたという面は絶対にある。

 

デク君はヒーローとして「力を持ってしてヴィランを制圧し、ヴィランの言動が“正しくない””事実ではない”ことを証明しなくてはならない」。それこそが「勝つ」ということなんです。

本来ならマスキュラー戦で気付いてていい話なんですけど、あの後デク君はというか雄英は敵連合自体には敗北したしその後動けなくなったのでまとめると「負けた」ことになるんだと思うし、神野でのデク君は「勝つとか負けるとかではなく目的を完遂する」ということをやってのけた(これはほんとデク君ならではの凄いところだと思う)からまた少し違う。体育祭は勝利を目指していたというより「皆本気なんだ、モチべ低いとか言ってる場合か僕のバカ野郎」みたいなかんじだったし最終的に轟戦でうやむやになったし(あれも「負けた」ので「自分の主張が正しいということを証明できなかった」が、轟君の中にあったものを壊していくことだけには成功していて、その後の轟君の成長は彼自身の行動の結果だし)、仮免一次試験はボール当てだったし、二次での戦闘は尻切れトンボだったしね。


そしてだれあろうエリちゃんは「勝つヒーロー」でなければ救えない子供だったんですよ。力なき正義は弱きもの優しきものを地獄に追い込むということが描かれたのが今週であり、エンカウントの路地、No.129「エリ」なんです。

凄くない?「必ず勝つ」を「ヒーローの必要条件だと始めてデク君が認識した」深夜の私闘のあとに出てくる要救助者エリちゃんが「治崎を力で制圧し、必ず勝つ」ことでしか救うことができない子供なんだと描かれるの、めちゃくちゃやばくないですか。わたしは鳥肌が立った。*1

 

デク君とミリオがエリちゃんとエンカウントした時、エリちゃんをあの場で保護しなかったことに失望した読者は多かったです。むりやりにでも連れて行けばいいじゃないか、ほんとに親子かどうか突っ込めばいいじゃないか、大局を見て子供を犠牲にするのがヒーローの先輩のすることだなんてこれだから職業ヒーローは、みたいなのほんと沢山見た。虐待受けてる子供の保護がどれだけ難しいかなんて分かってても、それでも助けるのがヒーローだろう、デクそのまま連れて逃げろよ、みたいなのね。もう超悲しかった(既にサーに感情移入してたのもあるし、デク君が現場慣れしてない1年生だからこその清廉な主張や行動は確かに痛快だったけれども、だからって100%正しいとは思えなかったから)。いや私の事はいい。

 

あの場でエリちゃんを保護してもエリちゃんは救えなかったんです。むしろ、エリちゃんを永遠に救えないままになる可能性の方が高かったことを今週のヒロアカは描いている。

だから私は感動したんです。

 


エリちゃんが希望を目に宿したのは、本当に私は救われるかもしれないと、そういう表情をしたのは1度だけです。

「ミリオが治崎を力で圧倒した時」

そのときだけでした。

「お前が言うことをきかないわがままをいうと人が死ぬぞ」手を下すのは治崎です。エリちゃんがこの呪縛から逃れ救われるためには、治崎の言うことを覆す必要があるんです。治崎が力で圧倒している状況では、エリちゃんは永遠に縛られたままです。「エリちゃん、大丈夫だ、君は大丈夫だ、何十人という人が君を救おうとしている、君は救われるべきだ」と言ったとしても、それらが治崎を制圧できる保証がない以上「これから何十人という人が自分のせいで治崎に殺される」という意味にしかならない。

エリちゃんの前で、力を持って治崎を制圧し、「治崎はもう誰も殺せない」状態を作ること、「エリちゃんのせいで誰かが死ぬ=間違いだと証明する」「治崎の強さは”絶対”ではない事を示す」つまり「勝つ」ことでしか、エリちゃんの心を救うことは、不可能だったんです。


エリちゃんと初めて出会ったとき、むりやりにでも彼女を保護する道はあったでしょう。しかし彼女は治崎の計画の核です、どんな手を使ってでも取り返しに来る。防護壁を、エリちゃんにそうと分かるように壊しに来るでしょう。そして治崎は焦る必要はないんです。「お前がわがままを言えば人が死ぬぞ、傷つくぞ」という呪いは治崎が死ぬか捕まるかしないと絶対に解けません。殺すのは治崎だからです。焦る必要などありません。呪いが生きている限り、優しいエリちゃんは保護された先から脱走し治崎のもとに帰るほかに無いからです。それ以外に、自分を助けようとしてくれる人たちを治崎から守るすべを持たないからです。持たないよう治崎に洗脳されたからです。そして洗脳された人の、特に子供の思考を変えるのは並大抵のことではできません。あまつさえ長期にわたり洗脳され何度も自分も他人も死んだ、そんな子供に「もう大丈夫だからね」というだけで救えるものではない。

そしてそうなったとして、デクもミリオも、エリちゃんの心を救うことを諦めたりはしないでしょう。無個性弾など関係なく、ただエリちゃんの心を守るために、呪いから解放する為に、治崎を倒して、勝利して、そうして「もう大丈夫だよ」と言わなければならない。

だから、もし初めて出会ったあの場でエリちゃんを保護していたとしても、今の対戦カードは絶対に行われていたんです。
あの場で保護しようがしていまいが、エリちゃんの前でデクとミリオが治崎と戦う、そういう出来事が必ず起こる。

未来は変わらない。
いずれ起きることは先延ばしにしたところでいつか必ず起きることで、起きなかったとしてもそれは既に起きてしまっていたに過ぎない。

 

 

 


バックノズルーーーーーーー!!!!ってTLで叫びまくっていた心情を少しでも分かってもらえたら嬉しいです!!!

 

 

「何を言うかではなく、誰が(どんな行動をした人が)言うか」「言葉には常に行動が伴う」これは轟くんの言葉ですが、ヒロアカの中で1本筋が通っていることだなぁと感じています。「エリちゃん、君は大丈夫だ」という言葉は、治崎を制圧するという行動が伴っていなければただの言葉にしか過ぎません。ただの綺麗事にしかなりません。命を賭して綺麗事を実践するのが職業ヒーローの仕事です。ミリオはもう一歩だった。もう少しでエリちゃんを救えた。どこまでも足引っ張んじゃねえよ治崎。


エリちゃんが組長の娘だと判明してこれ以上ないだろうと思っていた治崎へのヘイトがさらに積みあがってもう彼がどんな惨めな最後を迎えるのかいまから楽しみです!!

 

 

おわり!!


以下はTLでクダ巻いていたやつ(※腐アカなのでホームに飛ぶときは注意してね)

 

 

 おわり!とにかく偏った見方であることは重々承知なので「こういう読み方もあるんだなー」くらいに思ってくれたらうれしいです!

 

 

15巻は推しキャラの切島くんも活躍しているので嬉しい。みんな読んで。

 

戯言シリーズも是非読んでね。バックノズルという概念が出てくるのは6巻の「ヒトクイマジカル」です。

戯言シリーズ 文庫 全9巻 完結セット (講談社文庫)

戯言シリーズ 文庫 全9巻 完結セット (講談社文庫)

 

 

 

 

 

*1:伏線の回収というにはあまりにわかりにくい気がするけど、でもずっと違和感を感じていた「エリ」の初エンカウントの意味が今週で一気に「わかった」感じがして…この「わかった」時のワーッて感じは複線回収された時の気持ち良さなんだけど…堀越先生が狙ってやったかどうかは微妙な気はする…